風呂場のリフォームで
塵にまみれたポスターの巻物が転がり出た
森山大道が
森山大道でなかったら
オレが
森山大道になっただろう
というテーマで撮った
安井豊彦写真集
「真昼」
若さは暴走する
当時写真界の寵児であった森山大道に
とって変わろうと言ってるわけだから
大胆不敵 厚顔無恥もいいとこである
案の定 美術出版社刊行の「美術手帖」の批評欄で
美術評論家の根岸○○ が噛みついてきた
40年も昔だから どう噛みつかれたかは
まったくといっていいほど覚えていない
しかし すぐ逆ギレしていいのが若者の特権
私は当時開通したばかりの東名高速を
東京市ヶ谷に向けひた走った
おでこに"はったり"の絆創膏を貼り付けて
美術手帖の編集者に 私は絆創膏をさすりながら "ねじ込んだ"
「じつは根岸○○さんは根岸にお住まいの多木浩二さんです」
マァ 勢いよく飛び込んだものの 結局はお茶をすすりながら
世間話をしただけ
詰めのあまさはこの時から始まった
多木浩二は美術評論家であり写真も撮っていた
1968年 写真家 中平卓馬 高梨豊 詩人 岡田隆彦たちと
刊行された同人誌「プロヴォーク」の一員であった
(森山大道は第2号から加わる)
その後写真集「真昼」は「 One Thousand Millimeter」として
生まれ変わって出版されたが
その年のアサヒカメラ年末号の対談で一番印象に残った写真集として
写真評論家 渡部 勉 浅井慎平 そして多木浩二たちが
「One Thousand Millimeter」を話題にあげてくれた
そして 多木浩二が最も印象に残る写真集に挙げてくれたのが
「 One Thousand Millimeter」
まずは行動するもんだよねぇ
美術出版社まで乗り込んで"ねじ込んだ"甲斐があった
ところが アサヒカメラ編集部のミスで タイトルが
「One Thousand Illumination」
ちがうちがう ちがうっちゅうの
イルミネーション ちゃうの
ミリメーターよ
せっかくのコンセプチュアルなタイトル「 One Thousand Millimeter」が
「One Thousand Illumination」では情緒的な風景写真集になっちゃうじゃない
写真にとってタイトルは重要だよね
当時 東京に居を構えていた私は
すぐにでもアサカメ編集部に"ねじ込む"ことができた
でもしかし その時なぜか行動しなかった
詰めのあまさは これで決定的になった