ファースト写真集は作家の世界をステップアップさせていく

これは間違いないよね

上の写真集は浅井慎平のファースト写真集

ビートルズ 東京

1966年6月のビートルズ初来日公演記念として

名古屋の中部日本放送が企画した写真集だった

CBCがカメラマンを探していることを人づてに聞き

カメラマンとしてデビューする絶好の機会と飛びついた

その時歴史が動いた

浅井慎平 28才であった

それと前後して 松坂屋本店前の「ヒダカヤカメラ店」で働いていた服部さんと

服部さんの実家のお風呂屋さんを改造し

「PGプロダクション」という制作会社を起こし 在籍した

銭湯は広くて天井が高い ホリゾントも容易に作りこめ

理想的な写真スタジオが併設された

その後 浅井慎平は千種に「スタジオA」を設立するが

数年を経ずに東京の広告会社「モスアドバタイジング」にカメラマンとして入社する


1970年7月に出版された「STREET PHOTOGRARH」が2冊目の写真集になるのだが

「ビートルズ 東京」が*限定販売(表向きは)だったこともあり

でもでも *実は主催者側との契約上の問題で書店には並ばなかったのだ

世間ではこれがファースト写真集になる

歌人の 故 春日井健がエッセーを寄稿している


浅井慎平とともに 「PGプロダクション」でデザイナーとして在籍していた

稲越巧一のファースト写真集「Maybe,maybe」
(1970年5月出版)

浅井慎平とほぼ同時に「モスアドバタイジング」に入った稲越が

1週間のニューヨーク研修旅行を1ヶ月に延長しまとめた写真集だ

フリーになりカメラマン転身を計画的に進めるため 写真集のポスターなど

プロモーション活動を展開して プロカメラマンデビュー !!

今春 肺癌が悪化 お亡くなりになりました

合掌

 

 

荒木経椎のファースト写真集「センチメンタルな旅」

「センチメンタルな旅」はその後 様々な形で出版されているが

これは自費出版 1000部限定1000円の簡素な製本の正真正銘のファースト写真集

出版された時期は自費出版のためか詳細は明記されていない

当時の荒木は"超二流カマラマン"と自らを揶揄していた

会うときにはいつも取り巻きがいたなぁ

 


その仲間たちは「ゲリバラ集団」と名乗っていたが

同じ電通の写真部に在籍していた 高橋芳夫の写真集「便所」

そのものズバリ ページをめくる前から臭ってくる

くそ リアリズムコレクション画像

 

 

息抜きということで

宮崎皓一の「Scissorings 切り抜き」

新聞 雑誌から切り抜いた写真の異色の写真集

高梨 豊をしてコンポラはこれで終わったと言わしめた写真集
(コンテンポラリーフォト)

 

 

もう一冊 空気抜きに

写真集ではないが お遊び本

勝岡良夫 池田瞬司 の「裏表 1」
(1970年4月)

当時は再生紙という概念は無かったのだが

表紙から中身まで 再生紙のボール紙

ところどころツブツブの部分に活字やら画像の切れ端が見受けられる

 

 

 

60年代 フォークソングが若者のあいだで支持された

お前はどうだったかって

私は音痴なうえ予定調和で軟弱なものが大嫌いだ

まぁフォークが予定調和かどうかはともかく私はJAZZばかり聞いていた

上の写真集はステージフォトの重鎮 木之下 晃のファースト写真集

小澤征爾 故カラヤンなどが 彼指名でステージ写真を任せるほどである

あらかじめ場所取りをしていた若手のカメラマンたちは

彼が近づくと4.5歩後ずさりをするらしい

自費出版で表紙を八神和敏 イラストを林恭三が協力している

恭三さんにはほんとにお世話になりました

当時は枇杷島にお父さんの会社ピンクキング印の家具倉庫があり

そこの一角に住まわれていました

おいおい ピンクキングは気になるが 写真集の話をしてくれんか

はい

当時私は八神和敏さんのデザイン事務所に居候をしていた

八神事務所に 時々フィルムなどの材料が大量に届けられる

当時の私はフィルムをその都度購入していたから

カートンという単位を知らなかった

フィルムが20本単位でセロファンに包装されているのが1カートン

それが毎回4.5カートン納品されるではないか

八神さんに訪ねると

○○堂名古屋支社にカメラマンとして勤務していた木之下 晃が

個人用に使うためのフィルムで 自宅に持ち帰り使用しているという

ある時 納品された中から1カートンを抜き取り自宅に持ち帰った

木下さんからは何も言われていないのが不思議ですけどネ

 

 

 

現在 APA 日本広告写真家協会で会長を務める安達洋次郎さんのファースト写真集

当時は資生堂の写真部に在籍でしたが 生まれが岐阜

春日井にお住まいになられていたこともあり

なぜか時々声を掛けていただきました

“ぐるりの人々”を愛情あふれる目線で切り取っている

現在でも東京の日常をライフワークにして撮り続けていらっしゃいます

 

 


荒木経椎のファースト写真集「センチメンタルな旅」も

私のファースト写真集「股間の風景」も本の中に発行日が明記されていないが

1969年の出版だ

電通発行の「クリエイティビティ」誌で重森弘庵さんに取り上げてもらい

写真評論社 吉村伸哉さん発行の「写真映像」に掲載していただいたりはしたものの

「写真映像」編集部では官憲の目から写真原稿などを隠蔽しながらの出版だった

 

ファースト写真集が作家の世界を未来へステップアップさせるとは言っても

「股間の風景」は高橋芳夫の「便所」と同様にキワモノ扱いですからね

キワモノ人生の始まりであった