私が市ヶ谷に住んでいたころお付き合いしていた

町口忠さんから昨年末に訃報がとどきました

奥様が亡くなられた悲しみを渾身のデザインで表現されていました

町口さん宅にお邪魔したとき何度か奥様とはお会いしたことがあり

町口さんにお悔やみの言葉を受話器越しにお掛けして 遺影に向かい合掌しました

 

 

私が東京をはなれてから33年を経ての再会となりました

名古屋駅から いろいろ観ていただこうと栄にむかいました

お聞きしたところ 町口さんは名古屋に一泊して お伊勢参りをされるそうでした

「それでは 今日は熱田神宮にお参りください 」

名古屋名物ひつまぶしの熱田蓬莱軒も近くにありますしね

よし! 酒が飲めるならそこへ行こう!

 

 

神宮から蓬莱軒本店にむかうころには夜へのとば口

もの悲しい夕景がひろがっていました

70歳をこえられた町口さんには名駅から栄への地下鉄2区間さえ苦痛のようで以後はタクシーでの移動になりました

自分が数十キロ歩いても平気なことを基準に 気にもしませんでした

町口さん すみませんでした

 

 

本店裏手にある おふくさん(たぶん)のほこらに二人で手を合わせてから お店に入りました

久しぶりに立浪の2000本安打を放ったバットとの再会である

ところが何かが変だ 確か白木のバットのはずだったが 奇妙なマークらしきものがついているし、、、

 

 

バットの下を見ると200勝達成と刻印されたボールがアクリルのケースに入っているではないか

2008年8月4日には山本昌が200勝を達成している

これはそのときに記念として配布したボールのようだ

2007年のアジアチャンピオンメンバーの写真が置かれている

井端 Tの藤川 Gの阿部らの姿はあるが 昌は参戦していたのかなぁ

と まぁ文章だとしげしげとバットとボールを眺めていたように思われるかもしれませんが

町口さんが靴の紐をといている間にシャッターをきったわけで

すぐ お部屋に向かいましたよ

 

 

ここからがたいへん

ウーロン茶を飲みながら酒飲みのお付き合いができるほど 私は人間ができていない

奥様とお別れまでのおはなし

膵臓ガンであったらしいのだが 執刀までの経緯などお聞かせいただきました

息子さんの 慧さん景さんと余命わずかな奥様のために「モネの睡蓮」を観にパリまで家族旅行されたお話

MATCH and Company Co.,Ltd

町口さんが創設された会社で 慧さん景さん兄弟は主に写真集のクリエイティブディレクションをされている

森山大道さん 繰上和美さんなどの大家からの信頼も厚く

佐内正史さん ホンマタカシさん 大森克己さんらの写真集を多くてがけている

私の写真集「One Thousand Millmeter」「My Friends」を

MATCH 1 MATCH 2としてディレクションしてくださった 父の忠さん譲りの感覚なのだろう

酒を飲みながら昨年暮れに ガンで亡くなられた東大教授のお話

横浜市の仕事を始められたとき当時新卒で市役所に入ったばかりの彼が 周囲の反対意見をひるがえし

町口さんの案に同調し軌道に乗るまでバックアップしてくれたお話

「横浜みなとみらい」の礎はこのとき築かれたわけですね

町口さんが横浜市の仕事からフェードアウトされた時を同じくして

彼は母校東大の教鞭をとるようになったそうですが

56歳の若さで逝かれたそうです

 

 

と まぁいろいろなお話しをうかがいましたヨ

しかし本当に大変だったのは 蓬莱軒を追い出され 名駅のホテルにチェックインしてからでした

居酒屋でビールのジョッキをかたむけながらお喋りになる言葉は 私の灰色の脳細胞では翻訳不可能

はぁ ほぉ へぇ あぁ えぇ

とまぁ ここらあたりが無難な相づちで 「はい」とか「そうですね」とかはなかなか言えません

とにかく 内容が分からない 自分に聞かれているのかもよく分からない

居酒屋の閉店ゴングに救われて ホテルの部屋までお送りし そこで少しお話ししてご無礼しました

今生の別れと何度も言われていましたが お元気でいてくださいよ

ステキな看護婦さんがいる 高級老人ホームに入られるそうですが

お話相手がたくさんできますよ